2022年11月02日

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【俳句の最新記事】
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2022年11月01日

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2022年10月31日

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春秋左氏伝 4

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譲禮之主也

譲は礼の主たり。

人に譲るということは、礼の第一義である、というのである。


<管 見>

漢和辞典によれば、

「譲」は、言と襄(音符)の形声文字で、

 (じょう)は、衣服に呪いの品を沢山詰め込んで、邪気を払うの意味。

 言は、言葉。

 従って、言葉で悪い点をせめるの意味となる。

 また、沢山の品を詰め込むことを許すことから、ゆずるの意味をも表す。

 字義としては、

@ゆずる(与える)

 ➁責める(なじる・ののしる)

 B  拝礼の形式(手を平らに挙げて人をおしすすめる意を表す礼)

ここの場合は、Bであろう。

「禮」は、礻()(いん)((れい))の形声文字で、

 音符の(れい)は、甘酒の意味。※(ほう)とは別。

 甘酒を神に奉げて幸福の到来を祈る儀式の意味を表す。

 また他の字典によれば、

 「禮」は、会意形声文字で、心に敬い行儀の則るを守る道にて、人の()み行うべきもの。

 この道は神を祭る時、特に大事なる故に示と(れい)を合わす。※(ほう)とは別。


この「譲」と「禮」から愚生の主観を記せば、

*人間の欲望は、夫々に濃淡・強弱・多寡などと異なるけれど、皆無では無い。

*人寰()に於いては、個人間の才能の優劣・名利の高低…など差があるけれど、それはあくまでも人間社会内でのことである。

*宗教・治国・主義主張…など、全てに於いて一つに万人が心服することは、あり得ない。

このように多少の差はあっても、畢竟団栗の背比べといえるだろう。


そんな人間社会にあって、誰もが頭を垂れて赤子の如くに無垢な心で順う存在が、天()なのだ。

つまり、大自然に対する如く理屈なく畏敬の念を懐き、抗えない神聖的存在なのである。

それが、古代中国から人寰を統治することの存在として(形の変遷があろうとも)続いてきたのだ。

それでも天()をも恐れぬ愚行を、現在においても繰り返しているのが人間社会なのである。

それは取りも直さず、果てしなき人間の欲望の所為である。


今回の至言は、困った(苦しい)時の神頼みや人頼み…で無く、己自身の生き方のためにも天()に対することは勿論、人間同士個々の間においても日頃からの「譲」⇒「禮」を欠いてはならない、箴言として受け止めるべきだろう。


〈用語注〉:

人寰(じんかん):世の中。世間。人間界。



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2022年10月30日

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2022年10月29日

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2022年10月28日

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2022年10月27日

0082 読書週間

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2022年10月26日

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2022年10月25日

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