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老子 8
多言なれば数数窮す。
饒舌は、しばしばゆきづまるものだ。
「虚心で無言を守るに及くはなし(及ぶものはない
・匹敵するものはない)」。
言い換えれば、「言葉が多いとしばしば行き詰まる。
虚心坦懐なのが一番よい」得てして、
「口数が多いと、かえって言葉に行き詰まることが多い」というのだ。
<管 見>
過ぎたるは及ばざるが如し
であって、極端に度が過ぎたり、
程度に達しないのは、どちらも正しいとはいえない。
論語の説く天人合一真理「中庸の道」。
つまり、「どちらにも偏らず常に不変のこと」が実は大切なことなのだ。
過不足がなく、調和がとれていることが、
平凡のようでこれがまたなかなか難しいのであって、
ふとした軽率な言葉は、しばしば誰かを追い詰めることに繋がる。
だから、先入観を抱かず心をからっぽにして偏重しないように心がけるに越したことはない。
天は、人の自立を促すことはあっても、
無条件に人を助けてくれることはない。
人は葦の如く弱者であっても、考える葦≠セから
お互いが英知を出し合いし、協力・助け合いを以てすれば大概なコトは可能とすることができる。
”天は自ら助くる者を助く”を為して、
その後に”人事を尽くして天命を待つ”のが望ましい。
つまり、天の力添え(神頼み)や天命を待つしかない、
という時でもその前には為すべきことに対して、
人は全力で先ず努めなければならない。
自然界の調和が保たれるように出来ているのが自然である。
その教えにある通り、人間社会においても自然界の原理原則に基づいて、
虚心坦懐(※)に、真摯に、謙虚に、誠実に行うことが肝要なのだ。
話す・聴く、という会話は、言葉(書き言葉・話し言葉)や態度(表現方法)
を道具(シンボル)として用いてお互いのコミュニケーション
(意味内容の伝達)を図るさまである。
これによって、社会生活(共同生活)成り立つものだ。
然し、「能弁」だから効果をより上げるものでも無いし、
「訥弁」だから意思の疎通が図れないものでもないのは、
自明の理である。
〈用語注〉:
虚心坦懐:心に蟠りもなく、さっぱりして平らな心。また、そうした心で物事に臨むさま。